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| ▲スリランカ大統領チャンドリカ・バンダーラナイ(女性)の秘書官である、P.ディッサナヤケ氏に、浅野宮城県知事からの親書を手渡す。大災害へのお見舞いを述べると共に、今後出来る限りの支援を行いたい旨お伝えする。 |
▲この地図の東側一帯に赤く塗られている所が、津波の被害があった地域である。公式発表は死者4万人強だが、東海岸にはテロリストや武装グループが多く、確かな情報が得られないため、実際の死傷者数はもっと多くなるのだそうである。
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| ▲テルワッタという村には、津波で流され車体がボコボコになった電車が置いてある。 |
▲最初の波が来たあとこの電車の中に子供を避難させ、親たちは流された人を助けに行ったのだが、その直後高さ10メートルの波が時速数百qで一帯を襲った。8両編成の電車が波に流され、アッという間に1,300人のもの命が濁流に呑み込まれた。10メートルの水の壁がジェット機の速さで押し寄せるという、想像を超える津波の力によって、多くの尊い人命が失われた。(電車は流された後ここに戻された。) |
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▲マハンガマという村で立ち寄った家の中では、私の背丈よりもずっと高い所まで水が上がったのが分かった。 |
▲この家の女の子(写真)は流されそうになるのを、最初は家の中のカラーボックスの上で避難し、水位が増えた後は軒先に捕まっていて助かったそうだ。 |
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| ▲波の高さは場所によって異なり、波が打ち寄せた回数も1回の場所もあれば、4〜5回の場所もあったようだ。7〜8メートルはあるヤシの実が、波をかぶって枯れたようになっていた。 |
▲ここハンバントータは最も被害が大きい地域の一つ。船は波によって陸へ打ち上げられ、立ち並んでいた家やレストラン等は跡形もない。この村だけで約5,000人が亡くなったそうである。 |
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| ▲被災した住民の多くは、こうしてテントでの生活を強いられている。親を亡くした子供達、子を亡くした親や祖父母達が、悲しみと闘いながら復興に向けて生きている。ここも以前は建物があった場所だそうだが、今はテント村のようになっていた。 |
▲海沿いの家や施設はほぼ壊滅的なダメージを受けた。ライフラインの復旧や、住居の再建。再開のメドが立たない仕事の問題や、被災者の心に残るメンタル面のケアなど、今後の課題は山積みである。 |
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| ▲道路沿いに被災する村では、写真のようにタンクに雨水を貯めて、飲料水として使っている状況である。都市部への救援は手厚いものの、こうした郡部地方では十分な支援が行われているとは言い難い。
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▲津波の凄まじい力によってグニャグニャになったテレビ塔があった。この地域の住民の多くはイスラム教徒らしいが、他地域に比べ支援が遅れているのは、宗教による差別ではないのかという不満がくすぶっている。スリランカでは大多数が仏教徒であるが、集落によっては他の宗教徒が生活するエリアも存在する。(右端が鈴木広康仙台市議。)
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| ▲庭先に置いてあった車は、波によって運ばれた岩か瓦礫にぶつかって、ペチャンコに潰されている。このお宅では地下13メートルの井戸水が海水のようにしょっぱくなって、飲めなくなってしまったそうだ。
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▲被災した人々が暮らす被災住宅。住宅といっても4畳程の広さしかなく、むろん電気や水道が通っているわけもない。政府や州が生活復興を急いではいるが、以前の生活に比べ余りにも不便で貧弱である事は否めない。だが被災者数が多いため行政の支援には限界があるようだ。各国政府やNGO等による援助はまだまだ必要である。
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| ▲河口付近の橋は津波の力で流された。写真の橋は新しく架けられた仮設のもので、その下に写っているののが土台だけが残った従来の橋だ。仮設の橋が架かるまで4日間程は交通が遮断され、陸路が使えずに救援活動に支障が出たそうである。日本でも河口付近の橋梁は強度のチェックをすべきだろう。 |
▲津波によって住居の屋根や壁が流され、土台部分だけが残っている。波の威力もそうだが凄まじい勢いで流されてくる、コンクリートや流木や瓦礫などによって家が破壊され人々も犠牲になってしまうのだ。 |
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| ▲岸に打ち上げられたこうした船は、沖合数キロ先から運ばれてきたものだ。この町の沿岸では75隻の漁船が陸に打ち上げられてしまった。漁業・水産業で生計を立てている人が多く、船を無くした人々は仕事を失い途方に暮れている。政府は小さな漁船の購入には補助を出しているが、遠洋漁業用の大きな船には補助がない。 |
▲屋根と壁が流された為、ブルーシートをかけて雨風を防いでいる。この「家」には23人の家族が暮らしているそうである。
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▲訪問した南部州では急遽タウンミーティングが開催された。(知事公邸)
A.サマーラシン氏。私の隣が日本から同行したウダヤ氏。その隣が南部州開発公社のチャンディマ・ウイラッコディ氏。住民約50人ほどが集まってくれ、地元のテレビ局や新聞社も取材に来ていた。
私からは被災された皆さんに心からのお見舞いを伝えると共に、今後出来る限りの支援を行いたい旨を話し、宮城県と南部州の交流を深めていきたい事をお伝えすると、参加者が次々と手を挙げて、今の現状を説明してくださった。 |
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| ▲南部州知事公邸でのタウンミーティングの最後に、浅野宮城県知事からの親書をお渡しする。同州のキングスレイ知事からは早速返事が届けられ、活発な交流に期待する旨のお気持ちが綴られていた。
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▲タウンミーティングが終わり公邸を出ると、私たちのために歓迎の踊りを披露してくださった。大切な日に踊る舞踊とのことで、地元の子供達4人が賑やかに舞ってくれた。 |
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| ▲ベントータの学校を訪問。この学校は幸い流されなかったが、周辺の学校が全部流されており、その学校の子供達も受け入れている。今まで1クラス30人ぐらいだったのが、現在は50人になったらしく、未だ入れずに待っている子もいるという。校長先生は「待っている子のためにも教室を増やしたい、出来るだけ早く建ててあげようと考えています」「しかし政府は都市部だけに支援をするが、こんな田舎の事は考えていない」と語っておりました。子供達は津波の後、怖がって家に帰りたがらず、用事がなくても学校で過ごす事が多いのだそうです。それでも彼らは実に明るく振るまい、屈託がなく、むしろこちらの心を和ませてさえくれます。親や兄弟を亡くした子が多いはずなのに、悲しみから立ち上がり懸命に生きているのです。
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| ▲浅野知事からの親書に対して、南部州のキングスレイ知事と、同州開発公社理事長のチャンディマ氏からの返書。双方の交流を推進していきたい旨が綴られている。
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▲4月11日浅野知事と会談し、南部州知事からの手紙と視察報告書、そして津波災害対策への具体的な6項目の提言を渡して意見を交わした。この日の会見の模様は翌日の朝、NHKで東北地方全域に報道された。(左端が浅野史郎知事、私の隣が鈴木広康仙台市議) 津波対策の申し入れ文書はこちら。 |